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「お母さん今度来る時に持って来て欲しい物があるの
一昨年の夏に頂いたあの花柄のワンピース。 クローゼットの奥の箱に仕舞ったままにしてあるから」
この服を来て一緒に遊びに行こうと,
知人から贈られたワンピースを着ることも無く一昨年の9月に私は入院した。
元気になって退院したら着ようとずっと箱に仕舞っておいたのだ。
そうやって仕舞ったままでいる品々は私の部屋の中に数えられない程沢山ある。
使う気になればいつでも使えた物でさえ私は使うことが出来ずに何年もの間仕舞いこんで来たのだ。
素敵なカップ&ソーサーもバッグも口紅もピアスもすべて何もかも。
それらの物が自分に不釣合いなような気がしてならなかった。
自分自身が大嫌いで仕方なかったから,そんな自分にそれらを使わせるのを拒んでいたのだ。
この病院へ来てからも私は早く元気になってここを出て何かを始める事ばかりを考えた。
通信教育や障害者の職業訓練学校の,、英会話やパソコンの本。
今の時期に将来食べて行く為の準備をする事は重要だから。
でも、病状が悪化して苦しい時はその意気込みさえも消失した。
そして元気で無い私が悔しくてたまらなかった。
ハツラツとした姿で光り輝き仕事をするスタッフにさえ嫉妬した。
あの時,自宅の部屋で一人苦しんだ時と同様の苦しさ、再び私を襲った。
そして来る日も来る日も考え続け思った。この苦しさは何故に故に起こるのか?
如何すればこの苦しみを消せるのかと。
しかしある時に私は,自分が理想とする自分とそうでない現実の自分や
過去の自分の残像と変わり果てた現実の自分のギャップに苦しんでいることに気が付いた。
・・・あるがままの自分を受け入れる・・・
それは,そうたやすくないと思う。しかし実際人は,健康であれ病気であれ
貧しい者富める者,愚かな者賢い者,誰しもが今という瞬間しか生きられないのだ。
その瞬間の時の粒を繋いで行くそれが人生なのかもしれないと。
過去の経験が生んだ不安やまだ来ぬ未来への不安に捕らわれて、
今という貴重な時間をやり過ごしては,一体私は何時を生きて楽しむのだろう?
そして私は一体何の為に生きるのか,それは価値のあるものなのか,
その価値とは他人の良い評価が必要なのかを考える。
かつて恋人に愛される為に生きていた自分が居た。
家族に必要とされる為の努力をし続けた。
他人から良い評価が得られた時に自分の価値を感じた。
しかし,いづれもその人やその状態をを無くした途端,
私は自分の人生に行き詰まり自分自身の存在価値までも見失ってしまった・・・
「僕等はね、病気やからこそ元気な人より一日でも長生きする事に価値があると思えへんか?」
私の親友が言った言葉が強く印象に残った。
今はただ,あるがままの姿の自分を素直に認めて受け入れてみよう。
そして今の自分に出来る事,とるに足らない事でも誰に認められなくても誰に評価されなくても
自分がその事に懸命になれてその価値を見出せれば良いと思う。
“点滴の管に身体は縛られていても心までは縛られない”
今の私は,美しいものを美しいと感じ悲しい事にも胸が震える。
楽しければ大声で笑い切なければ涙がこみ上げる。
好きな人を想い恋をする事も失恋だって出来るから。いつの日にか力尽き
美しい大樹の木陰で,静かに横になり永遠の眠りがくる時まで私は歩き続けて行きたい。
neko