「今度、心臓移植についてのお話があるので、ご家族の方を呼んでください」

 

私の心臓移植の登録の話が持ち上がった頃に主治医からこういわれた。

入院時より強心剤の点滴の治療を試みているが,やはり最終的な方法は心臓移植しかないことが分かった。

移植の登録を出来る患者は限られており,病院から貰った栞には沢山の記載項目があった。

初めのページを一部抜粋するが,

 “心臓移植の対象となる患者さんは,末期的な心不全で心臓移植以外に有効な治療手段がないという

医学的な状況の他に、移植後の定期健診と生涯にわたる免疫抑制療法に

精神的も身体的にも十分耐えられること,また患者さん自身が移植を受けることに積極的であり

且つ家族や親近者などの十分な理解と協力が期待できるなどの

心理的・社会的条件が充たされなければなりません”

 家族の立会いがどうしても必要ですかと問う私に,

心臓移植は、ご家族や親近者の協力無しでは成り立たない治療だと言われ私はためらった。

元気になって自立する為に此処に来たのに,その為には家族の協力無しでは出来ないだなんて

結局,母一人が説明を受けに来た。本当は弟と二人で来て欲しかったけどやはり無理だった。

父の時もそうだったから仕方がないと思いつつはり期待をしている私がいた。

移植の登録の手続きを済ませいよいよ心臓移植の事を頻繁に考えるようになってきた。

関連ニュースや情報を見ては一喜一憂の日々を今も続けている。

 

1997年に臓器移植法案が施行され、我が国でも脳死患者からの臓器提供を受ける事が出来るようになりましたが、

私を含む移植を希望とする患者は、何年もの間ドナーが現れるのを待たねばならず、

我が国では15歳未満の子供は臓器提供に関する本人の意思表示が出来ないとされているので,

多額の費用を捻出して海外で移植手術するしか延命の方法は無い。

そしてそのチャンスを得られるのもごくわずかと限られている。

臓器を提供する立場、又は頂く立場、そしてそれぞれの家族の思いは様々で、

私自身ドナー(臓器提供者)を待ちながら、愛する人がもし脳死状態になったら?など

、いろいろな立場を想定しながら思いをめぐらせている。

人の死が前提にある移植手術を受けてまで生きるべきなのか?とも考えなくはない。

しかし助かる方法があるのなら私は生きてたい。

志半ばで逝った多くの友人や父の分もまでも私は命ある限り生き続けたい。

それが正直な気持ちだ。臓器移植・・・その命のリレーとも言える人間愛に基づく行為は,

私個人の意見としては素晴らしい事だと思うから。

移植についての権利は,受けたい・受けたくない・あげたい・あげたくないの4つの権利がある。

いずれを選ぶかは個人の自由だ。その良し悪しを何人たりとてとやかく言う権利はない。

しかし,自分の命のあり方を意思表示することは大切な事だと思う。

 国民が意思表示出来る機会をもっと増やし,

ドナーカードの有効性を高める為の具体的な策を国家は早急に取り組むべきだと思う。

我が国の法律が施行された今でも,移植を必要とする患者達の多くが諸外国へ頼らざるを得ない事態を

国家は放置すべきでは無いと私自身が患者だからではなく一人の日本国民である立場で思うから。

そして我々国民の一人一人も,この国の抱える様々な問題にもっと関心を向け行かねばならないとも思う。

人との人の繋がりが希薄になりつつある現代社会が抱える問題は大きい。

だからこそ自分以外の他者にもっと関心を持つ事は,人が生きていく上でとても大切な事だと思う。

 

私は、人間の生と死,命のあり方について自分自身の病気という課題を通して多くの人々に問いかけてみたいと思う。

それは今の私にも出来る事であり,今,心臓移植に自分の未来を託す私本人がやらねばいけない事でもあると思うか。

neko