「採血の結果、少し異常なものが出でいるので、念のために入院して検査をしましょう」。


3年の外来治療を終えて1年3ヶ月目の受診の際再び私は入院を促された。

外来での検査は無理かと問う私に医師の表情は真剣で,まるで私に懇願するかのようだった。

私は,只ならぬ状況を薄々感じ検査入院だけならという気持ちで首を立てに振った。

3年の外来治療を終え水を得た魚のように,私は新しい仕事を見つけ,その間に恋愛もし

やっと幸せな日々を手に入れたばかりの時だった。

入院当日に骨髄検査をした結果を,翌日カンファレンスルームに通された私に報告し,

そして外来と病棟の主治医は,治療が必要な事を説明した。「やっぱり又か」!

一瞬目の前が真っ暗になり向こう側に座る医師たちの顔がにじんで見えた。

その日の夜私、ベッドの脇にメモを残し病院を抜け出し

当時交際をしていた恋人の所へタクシーを飛ばしたのである。

当然の事ながら病院では大騒ぎで夜中に家族は呼び出され皆が血まなこになり私の居場所を探していた。

彼の必死の説得で、泣く泣く病院に連れ戻され、翌日から再び抗癌剤の治療が開始された。

そしてその二ヵ月後に私は危篤状態に陥った。

治療中に敗血症(化膿菌が血管・リンパ管の中に入り起こる全身に及ぶ重度の感染)を起こし,

その炎症はひどく歯茎と上唇はすべて癒着し,首のリンパ節や顔面はくびれがないほど腫れあがり

40度を割らない熱が何日も続き赤黒く腫れた頬は亀裂を生じ組織腋がにじんでいた。

まさに虫の息で夜中に何度も家族は呼び出さ、暗い談話室の椅子で頭を抱える毎日だった。

両親やスッタッフの必死の介護の甲斐もあり一命は取り留めたが,意識が回復してくると

顔面の激しい痛みが一日中私を襲い,痛み止めも効かず気も狂わんばかりの日々が続いた。

このときの地獄のような光景を私は生涯忘れる事はないだろう。

そして、すっかり炎症が治まった頃,私の顔は別人のように変わっており

二度ともとの顔に戻る事はなかった。

両親は(特に父は)病室中にある、姿の見えるものすべてを家に持ち帰った。

しかし、いつまでも個室にはおれず大部屋に移されれば嫌でも自分の変わり果てた姿を直視することになった。

感染予防の為のマスクとカツラが救いだった。敗血症が回復し少し落ち着いた時に私は主治医にこう言った。

「先生、私の本当の病名は何ですか?それをはっきり知らずしてこれからの治療は受ける事が出来ません」。

新館の明るい廊下の窓際で私と主治医は向き合い,主治医の唇の動きが

急性骨髄性白血病と動いたのを私は始めて確認した。

これまでに私は,あらゆる方法で自分に使われている薬の内容を調べあげ

すでに分かっていながらも頭の隅の何処かで否定したい気持ちもあり問い正せずにいたのだ。

その時から私は自分の死を意識し始めた。

再発はその後も二度起こった。

特に最後の再発時にすでに心不全を起こしていた私は,

心筋に影響の少ないあまり効果の期待できない薬物しか使えない状況だったが,

このいずれの時も九死に一生を得るような体験をし今も尚,生存し続けている。

neko