「転んで膝をすり剥き,泣いていても前には進まないから涙を拭いて土を払い,

脱げた靴を履きなおし扉を開けて歩き出そう。膝小僧の傷はまだひどく痛むけれど・・・」

 転院前までの入院治療で,私の病状は入院時の苦しい症状は取れたにせよ

心臓の機能自体が目覚しく回復する事は望めなかった。

病室のベッドで一日横になりながらこの先退院してもこの状態が続き,

又,時間を空けずに入院となる事は今までの経験上分かりきっていた。

その入院中に私は,この先障害者として自立を計り再び家を出て生活する

将来の青写真を頭の中で広げていた。

自分の力で生きてみたかった。

しかし実際の体の状態は誰かの介護を要するほど悪く夢を叶えるのにはあまりにも無理な話だった。

その夢を叶える為に,、心臓移植という方法しか残されておらず当時の主治医は,それを選択するのなら

専門的な検査や治療を受けられる病院への転院を提案してくれた。

これまでも積極的な心臓の治療を望んではいたが,

同院の血液内科で白血病でもかっていたので、病院を替えることは非常に困難だった。

しかし白血病の方が落ち着き主治医に完全完解(白血病では治癒した事を指す)を

言い渡された事もあり私は転院を決意した。

これまでの私をすべて変えられるような気がしたから。

慣れ親しんだ環境に別れを告げ,誰一人として私を知らない人ばかりの見知らぬ土地に移り

一からやり直してみたかった。

出来るだけ遠い場所に行ってみたかった。

 

転院してからしばらくは緊張の連続で今までの入院とは勝手も違うので戸惑った。

病院のスタッフ達にも警戒した。

「この人達は、私の見方になってくれる人達なのか?」と,心の中で思っていた。

仲の良い友人や母も頻繁には面会に来れなかったが、何故か私は清々しており寂しくも無かった。

入院してすぐから検査が始まった。

心臓カテーテル検査の結果は予想通り悪く私の心臓の心筋の組織細胞は,

竹の繊維のように硬くなり心臓内部の壁は薄くなっていて組織を採取するのも困難だった。

検査後の治療計画で、私は弱った心臓の回復を促すため24時間点滴の内治的治療を受けることとなった。

首の頸静脈から点滴のルートをとり、強心剤剤の点滴が開始された。

治療が始まった当初は心臓の機能が回復する事を期待して、状態が安定したら薬の量を

除々に減量をして行き、最終的には24時間点滴の離脱を計れれば良いと思われていた。

しかし点滴のルートを1月ごとに入れ替える処置も心臓には負担が大きく,

その度ごとに調子を悪くし離脱どころか強心剤の量は増える一方だった。

 以前、心臓の調子が悪くなりだした頃から私は難治性の便秘にも苦しんでいた。

この病院に来て検査をした結果,腸閉塞を起こしていることが分かった。

治療方法は絶食と食事療法のみだった。後に血液内科の主治医に相談したtところ,

これもやはり抗癌剤の副作用の可能性が高いという事を知った。

私の身体は長年に渡る化学療法で,心臓だけではなく身体の至る所が蝕まれていた。

そして、それとは別に子宮筋腫にも罹っており私の身体は,病気のデパートのようだった。

 こうして始まった私の国立循環器病センター(略して国循)でのスタートは,

扉を開けてすぐから新たなハードルが待ち受けていた。

neko