「夕暮れに遊び疲れお腹を空かし父母の待つ我が家に走って帰る」

「玄関を開けると夕食の仕度のいい匂いが漂って来る」

・・・戻れるものならもう一度あの頃に帰りたい・・・

彼との暮らしにピリオドを打ち身も心も憔悴しきった私は夜明けの街を逃げるように実家に帰った。

本当はどうしても戻りたくは無かったが、身を寄せる場所は他に思い付かなかった。

私は幼い頃から両親が共稼ぎの家庭で育った。

一つ違いの弟と二人で寂しくなると,よく母のパート先の工場まで母を迎えに行った。

小学校に上ると母は父と同じ会社に就職し昨年末までその仕事を続けた。

父はそのへんの事情をよく理解し母の帰りの遅くなる時は率先して家事をこなすよく出来た人だった。

夫婦の事は当人同士にしか分かりはしないが私の記憶する限り夫婦はよく口論し

子供を育てるという義務的な責任感でのみ繋がっているようにも見えた。

そんな家庭の重々しい空気に耐えられず私は早く手に職をつけ

自立して家を出る為に看護学校に進学したのである。

私が白血病を発病してからは,夫婦はひん死の娘の命を助ける事に掛けては共通の目的を持ったが

やはり二人はいつもすれ違い口論が絶えなかった。

私が病気をしてからの父は,周りの者が一目おくほど一心不乱に愛情の矛先を私にのみに向けた。

私無しでは生きていけないほどの気の入れようは家庭の形をいびつな物にして行った。

母は職場での自分に生きがいを感じ精力的に仕事をこなし社交的な主婦の地位を確立していった。

しかし,その家庭の中で私はいつも孤独を感じていた。

そしてそれは,病んだ私にとって耐えられない限りで私はいつも家を出る事を考えた。

一方の弟は家族と殆ど口をきかなくなり自室と仕事場の往復をする生活を続けるようになった。

幼い頃おしゃべりやおどけで皆を楽しませてくれた弟は,

家族の前では顔の表情を変えない笑わない人間になっていった。

再び実家に戻った私が快適に療養する為に両親は古い家を売却しローンを組んでまで新居を購入した。

何事も私中心に回った。真新しい新居に引越しした家族は,皆もう一度やり直せるような気がしていたと思う。

私は傷心を忘れる為,もう一度,家族皆が和める家庭をつくることに気持ちを集中させた。

それ以外の幸せはもう望まないと誓ったが,やはり自分の人生に対する

やり場の無い悲しみや怒りを私は身近にいる家族に向けた。

真新しい家具や美しく植え込んだ庭の花も気持ちを昂揚させたが,それはひと時の物でしかなく

新調したダイニングテーブルで家族全員が和んで食事をする事はただの一度も無かった。

「夢にまで見た峠の我が家の灯りは一体何処まで歩き続けたら見えてくるのだろう・・・」

今でも私は寂しくなるとお腹を空かせた子供に戻りポケットのキャンディーやラムネ菓子が恋しくなる。

口に広がる甘酸っぱい味が二度と戻れないあ頃の思い出を呼び起こしてくれるからだ。

neko