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「先生,このまま私に土をかぶせて静かな山にでも埋めてください・・・・」
担ぎ込まれた夜間救急外来のベッドの上で、息も絶え絶えの私は当直医にそう言った。
当直医は困惑の表情を一瞬見せたが,
「私の仕事は貴女を土に埋める事じゃ無く貴女の命を助ける事です」と,静かに微笑んだ。
その日の夜も父の居ない我が家は騒然としていた。
大きな怒鳴り声と必死で止めようとする母の泣き声,ガラスが割れ物をぶつける音は家の外に
まで聞こえていた。父がいる頃はある程度の歯止めがきいていたが,
主無き家で私達家族は箍が外れたようにバラバラになり,お互いを罵り合った。
度重なる辛く悲しい日々に疲れ果てて憎み合いながらも離れられず,
そして寄り添いも出来ず何とも奇妙な暮らしをを続けていた。
父が亡くなってからの私は,今まで張り詰ていた糸が切れたようになり心臓の調子も悪くなる一方だった。
私自身も入退院を繰り返していたので,決して無理の出来る状態ではなかったが
父の闘病を全力で支えたかった。
私が瀕死の状態の時献身的に尽くしてくれた父を何としても救いたかったからだ。
むしろそれは私の使命のようにも感じていた。
父が亡くなった時にその使命を失い同時に生きる支えも無くした私は,
恋人を無くした時以上に自分の生き方が分からなくなっていた。
私はこの先どうやって生きて行けばいいのか・・・?
日中、皆が仕事に出ている間,一人残された私は,横になるだけの日々だった。
家族が家族としての機能を果たさなくなった廃墟のような家庭の中で,
そこから動く事も出来ず絶望と孤独の檻に閉じ込められていた。
床から這うように出て、横になったまま食事を済ませシャワーを一人で浴びる事さえままならなかった。
しかし、入院はしたくなかった。
毎朝,遺影の父に花を飾り香を焚き,お仏飯とお茶を供え何時までもそこに座った。
父の傍を片時も離れたくなかったのだ。
夕方に「みい,ただいま」と,今日こそは父が帰るような気がしていたから。
仕事を持ち,遅く帰る母ともすれ違う事も多く私は一日誰とも口をきかなくなることが増えていった。
大好きな歌を聞いても心に響かず、美しいものを見ても感動しなくなった。
自分がどんどん別の人間に変って行く事が恐ろしく、このままではいけないと思ってもなす術が無かった。
私の心臓は会話をするのも負担になるほど悪くなっていた。
電話をいつも留守番電話に切り替えていた。
この頃の私は、生きていると言うよりむしろ死んでいないと表現する方が適切であった。
父の一周忌を待たずに私は風邪をこじらせとうとう入院した。
その病院の窓からは、父を送った葬儀場がよく見えた。
私は毎日、その窓辺に座り父を送った日の事を回想し続けた。
父の亡骸の冷たさや二度と開かない瞼,斎場で拾った珊瑚のように白く軽い骨の感触が
昨日の事の様に思い出された。
何と言っても、病院自体が辛い思い出を忘却出来る場所ではなかった。
同じ病院のベッドに横たわる父や私の闘病にいつも寄り添った父の姿は,
この病院のありとあらゆる場所に存在している。
入院をして少し身体が楽になると私の精神状態も少し落ち着いて来た。
家を離れる事で、少しずつ冷静になり自分を取り戻して行った。
そして入院し治療を受けようと決意した自分,、
やはり生きることを強く望んでいるという事にようやく気付き始めた。
苦しむのは,それ故なのだからと思うようになった。
その入院中に私は同じ院内の心療内科の受診を自らが希望し
カウンセリングを受けるようになった。
その事,、生きることに少し前向きになり始めたからだと今は思える。
カウンセラーは直接的なアドバイスはしなかったが,
私は思いのまま相手に気持ちをぶつけ
話すことで絡み合った心の糸を整理する作業をしていたと思う。
しかし面会に訪れる母とは依然としていがみ合った。
母が来る度に静まりかけた心が再び激しく憤怒した。
その頃の私は,怒りと悲しみの感情しか持ち合わせていなかったように思う。
しか,、いがみあってもしばらくするとやはり母は来た。
一番身近な人を大事に出来ない自分がとても辛く,母に暴言を吐いてすぐから私は何度も後悔した。
母に立てる牙で自分の心も傷つけていたのだ。
私達家族は,近づすぎてお互いの良さを見失っているように思えた。
「もう一度家を出よう・・・」
離れる事からしか始まらない事もあるのだと,その時私はそう思った。
neko